文化的な生活を享受してますか
東京は家の中に文化がない
家の中で全部完結させたい人にとっては東京の家は物足りないけど、文化の外注をしてるだけと捉えればそんなにおかしくないんではないかな。なんせ家の中では揃わない文物が外にたくさんある
2024/04/30 21:55
珍しく日本酒をかっ食らってしこたま酔っ払った頭で適当に書いただけなのに、なんか共感なり反感なりをたくさん生んだみたいなんだけど、悪意を持って書いたのではないので言い訳をしておく。
これは、家の中に文化的な物品がなくても、アクセスのよい家の外にあれば、そんなに悲しむべき事態でもないと考えることができるよと言っているだけです。文化の消費者を馬鹿にしたり家の中に文物がない人を馬鹿にしたりする発言ではないです。
苦し紛れのブクマカの名言いただきましたw 「文化の外注」 美術館に美..
申し訳ないけど家には絵も飾ってあるしピアノも置いててずっと触ってるんだよなあ
2024/05/01 16:04
こっちは、増田が
「美術館に美術を「外注」する前にまず家に絵を飾ってみろよ。
コンサートに音楽を「外注」する前にまず家にピアノを置いてみろよ。」
って言うから、事実関係を簡潔に記しただけです。煽られたから煽り返し気味には書いたけど別に金持ちマウントじゃない*1。そもそもうちは23区どころか首都圏ですらないし。
以下余談。
両方のブコメで割とよく見られる価値観として、文化の消費者より生産者の方が偉いというものがある。生産されたものがなければ消費ができないから、確かに一面では正しい。ただ、生産者にとっても消費者が不可欠なので、どっちが偉いというのはないと思っている。
自分の話でいうと、私はずっとアマチュアのオーケストラに参加しているが、観客集めは毎回の課題だから、観客としてきてくれる皆様には、神様仏様消費者様みたいな気持ちでいる。自分たちの方が偉いとはとても言えないし思えない。
そもそも、どうしてオーケストラで楽器を演奏しているかというと、聞くだけより演奏する方がより深く曲を理解できて楽しいからなので、消費するために生産しているみたいなところがある。
ちなみに、法律関係の文書にもしばしば「文化」の言葉は登場してきており、おそらく最も有名なのが憲法25条1項の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」だ。20世紀後半以降、この権利はしばしば「文化権」という名付けがされており、近年になって生まれた障害者権利条約*2の30条「文化的な生活、レクリエーション、余暇及びスポーツへの参加」で、さらに具体的に記述されている
。曰く、
1 締約国は、障害者が他の者との平等を基礎として文化的な生活に参加する権利を認めるものとし、次のことを確保するための全ての適当な措置をとる。
(a)障害者が、利用しやすい様式を通じて、文化的な作品を享受する機会を有すること。
(b)障害者が、利用しやすい様式を通じて、テレビジョン番組、映画、演劇その他の文化的な活動を享受する機会を有すること。
(c)障害者が、文化的な公演又はサービスが行われる場所(例えば、劇場、博物館、映画館、図書館、観光サービス)を利用する機会を有し、並びに自国の文化的に重要な記念物及び場所を享受する機会をできる限り有すること。
2 締約国は、障害者が、自己の利益のためのみでなく、社会を豊かにするためにも、自己の創造的、芸術的及び知的な潜在能力を開発し、及び活用する機会を有することを可能とするための適当な措置をとる。
(後略)
ということで、1項が文化の消費、2項が文化の生産と整理されており、一方の除外も順位付けもない。これが錦の御旗というわけではないけれど、整理として有用と考えられる。
ということで、家の中で文化的生活を享受することと外で享受することに優劣はないし、文化の生産者と消費者とで文化的生活の享受の程度に差があると主張するのは正しくないんじゃないというのが、言いたいことです。みんなやりたいことをやりたいようにやったらいいのよ。私もマウントをとるために絵を飾ったりピアノその他の楽器を演奏したりしてるんじゃないんで。