受験世界史の音楽史がやばい(増補あり)
※ご指摘いただいたので、説明を補充しました
なんとなくググっていたら以下のページを見つけた。
テーマ史(音楽史編)
https://masudajuku.jp/justbefore/textbook/wor01.music.pdf
まずはきれいにまとまっていることに敬意を表する。ただ全体的にやばみを感じたのでブクマしたところ、それなりのブクマが付いた。
やばさを共有していただいたようで何よりだ。ブコメの指摘もいちいちごもっとも。
ということで、何がやばいかを自分なりに整理しておこうと思う。
嘘・大げさ・紛らわしい
時系列順に並べる。
《中世》
解説*1。思いっきりグレゴリウス1世が「グレゴリオ聖歌作成」したと書いてあるが、現存するグレゴリオ聖歌はほぼ9世紀以降の作と判明している。6世紀末の人であるグレゴリウス1世は、当然ながら作ってない。
各大学はさすがにこの誤謬を慎重に回避している(今のうちに褒めておく
・グレゴリウス1世の1世紀後にはまだグレゴリオ聖歌は集成されていない
2問目。成城大学はこの記載の根拠持ってるの?7世紀~8世紀は、スコラ・カントルム(聖歌隊学校)が聖歌を記録し始めた頃ではないのか。
《バロック》
・バロックが「豪華で華麗」?
解説。バロックの特徴は、その前のルネサンスが厳格に調和を求めて不協和音を徹底的に排除したのに対し*2、積極的に不協和音を用い始めたことにある。まさしく歪んだ真珠だ。別に豪華とか華麗とかはバロック音楽の特徴ではない。ヘンデルの作風には当てはまるが、バッハは厳粛・荘重の塊。モンテヴェルディやリュリの音楽の特徴とも違う。
どうもバロック美術に引きずられているのではないか。というか山川の用語集には「情念や不均衡を取り入れた豪華で華麗な様式が特徴」と書いてあり、多分山川が犯人。
解説。バッハの作にしては単純に過ぎるので偽作という説がある。偽作だったらどうしてくれるのだろうか。嘉門達夫の鼻から牛乳が有名すぎてつい書いちゃったのだろうか。
・ヘンデルは男
解説。「音楽の母」はもういいかげんやめにしないか。
・音楽が演奏される場所が教会と宮廷だったのは中世からずっと同じ
9問目。教会音楽と宮廷音楽がバロックの特徴みたいに言われると疑問が出る。
《古典派》
・真面目とは一体
解説。「真面目な古典派音楽」というのは、「俺の尻をなめろ」を作ったモーツァルト先生と交響曲第94番「驚愕」を作ったハイドン先生と「なくした小銭への怒り」*3を作ったベートーヴェン先生に失礼すぎる*4。
・運命が標題音楽???
36問目。田園はまさしく標題音楽だが、1つのモチーフだけで曲を作り上げた運命は絶対音楽の権化でしょ*5。
《ロマン派》
解説、29問目、30問目。大リーグ養成ギブスで指を壊した*6シューマンがピアノ技術を開拓したという記載が謎すぎる。ピアノ技術をリスト、ショパン、クララ・シューマン*7が開拓したというのなら分かるのだが*8。というかピアノ自体が近代の産物なので「近代的ピアノ技術」はなんかおかしい。
解説。いや無理でしょ。ドヴォルジャークがブラームスの弟子と言う並に無理。彼らの関係は先輩後輩。
解説。必ずしも間違いではないとは思うが、ベートーヴェン御大の田園を無視されるとかなり納得いかない。
・「ベートーヴェンの交響曲の後継者はシューベルトではなくブラームス」
36問目。それハンスリック史観ですよね*9*10。ブラームス派だ!燃やせ!*11
・リストが国民楽派みたいな扱いに
37問目、38問目。リストがなんぼハンガリー狂詩曲を書いたハンガリー出身者だと言っても、彼ドイツ系やし、その時代国民楽派はまだないからね。
44問目。ヴェルディは普通国民楽派に数えないし、「行け我が思いよ黄金の翼に乗って」がイタリア統一の象徴にはなったけど、これが民族主義的と言われるとかなり疑問。もしかしてアイーダがエジプト民族風ってことか?*12
《国民楽派》
解説。ムソルグスキーは普通ロシア五人組で一括りにされ、五人組は全員国民楽派扱い。グリンカはその先駆者となる。なんで「並ぶ」なのかよく分からん。
解説。チャイコフスキーは五人組に対して西欧風の作風で民族愛が足りないとしばしば批判された人なので、国民楽派で括られるとちょっと違和感*13。
《近代》
・「19C末~20C初頭の印象派音楽はドビュッシーだけ! 」の意味がちょっと分からない
解説。ラヴェルはまだいなかったってこと*14?ラヴェルの水の戯れは1901年作曲なんだが*15。
《現代》
解説。おそらく途中で作風がガラッと変わったことを指しているのだろうとは思うが*16。グーグル先生で検索したらレディー・ガガとか出てきたよ*17
・ジャズが1920年代発生というのは遅い
解説。ポピュラー音楽なので正確な発生年は探りようがないが、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドの結成が1916年なので、20年代というのは明らかに遅い。
・ロックが1950年代発生は早くねえか
解説。1950年代半ばはプレスリーのロックンロールだと思われるが、ロックンロールとロックを同じものとして扱う人はあまりいないと思われる*18。
・ロックの項目にフォークを入れるのはちょっと
解説。フォークそのものは19世紀からあったらしい。ロックの後にフォークが来るのは日本独自の現象で、世界史じゃないよね多分*19。
世界史範囲外
山川の用語集を買ってきたけど、ほんと全然載ってない。
敗因はやっぱり「G線上のアリア」とか「別れの曲」が本人命名でないことにあるだろう。モーツァルトの交響曲とかピアノソナタなんか副題が付いてないからどうしようもないしな。
・ヴィヴァルディ、ヴェーバー、ビゼー、ベルリオーズ、ブラームスは範囲外
分かってたけど特にブラームスはショック。逆にプッチーニが載ってるのが理解できない。やっぱ蝶々夫人のおかげか*20?
残当というほかない。シベリウスだけはフィンランド独立と絡める余地があるけど、 曲*21がアマオケ以外には有名じゃないからなあ…*22
・ラヴェル、バルトーク、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチは範囲外
残当アンド残当。ショスタコーヴィチが共産党的にオモシロ人生になってるくらいで*23、世界史とあまり絡められない。
・ヒップホップとクラブミュージックは範囲外
今の全世界の新曲の半分ぐらいがヒップホップで4分の1ぐらいはクラブ系だと思うんだけどなあ。
優先順位がおかしい・これを入れてくれ
・中世スッカスカ問題
吟遊詩人は立派な音楽史なので入れといてほしい*24。作曲家の名前を挙げるだけが音楽史ではない。
・ルネサンス壊滅問題
これはしゃーない。対抗宗教改革絡みでラッソやパレストリーナを出せるかどうかぐらいだけど、曲が地味すぎて無理ですね。
・バッハの代表作
通俗名曲のオルガン曲2曲の代わりにフーガの技法を入れて*25、さらに管弦楽組曲かブランデンブルク協奏曲を追加するべき。みんな大好きG線上のアリアやぞ*26
・ハイドンの代表作
四季は絶対ヴィヴァルディとの引っかけ用だろ*27。交響曲最後の12曲と弦楽四重奏曲が代表作のはず。
・ベートーヴェンの代表作
三大ピアノソナタが全員落選の憂き目。あと「ウェリントンの勝利」とかいうワーテルローみたいな戦いを讃えた曲がありますよ!(雑な紹介*28*29
・シューマンの代表作
流浪の民でもまあいいけどトロイメライとかピアノ協奏曲とか交響曲第3番とかあるのでは*30。
・ブラームスの代表作
・グリンカの代表作
むしろルスランとリュドミラの一発屋イメージがちょっとない?
・チャイコフスキーの代表作
モルダウvs家路*33でモルダウが勝つのか*34…中学校の音楽の教科書に引っ張られてない?
・ドビュッシーの代表作
印象派的に一番とんがってるのは前奏曲集だが1曲1曲が地味だからな*35。そういや月の光が落選してるな。あれは印象派的ではないが。
・ラヴェルの代表作
印象派的には水の戯れでしょ、やっぱ。
・ショスタコーヴィチの代表作
森の歌はジダーノフ批判でシベリア送り寸前になったショスタコーヴィチがみくにゃんと違って自分を曲げて必死に作った体制迎合作品だし、交響曲第5番はプラウダ批判でシベリア送り寸前になったショスタコーヴィチがみくにゃんと違って自分を曲げて必死に作った体制迎合作品だ。ショスタコーヴィチの真意を尊重するなら交響曲第4番や第13番を代表作に挙げるべき(過激系クラオタ
世界史につなげられるのにもったいない
・ピタゴラス学派がドレミを作った
音名が付くのは大分後だが、完全五度の堆積でドレミが作られたのは、数に執念を燃やしたピタゴラス学派のおかげというのが定説。むしろピタゴラスが音楽史に顔を出してしかるべき*36。
・グレゴリオ聖歌の位置づけ
世界史的には、グレゴリオ聖歌は、カロリング・ルネサンスにおいて、カトリック典礼を統一し西方世界共通の基盤を作る一助になったというのが大事なところと思う。ネウマとかオルガヌムとかは音楽の科目でやればいい。
宮廷音楽家として一生を終えたハイドンから貴族と関わりなしに人生を送ったシューマンまでの作曲家たちは、市民社会の成熟度合いによって自立できたかどうかが変わっていったという視点で眺めるといいのでは。
・ナショナリズムの発露と音楽
ヴァーグナーは言うに及ばず、ヴェルディ、シベリウス、エルガー、ハイドン、スーザと、音楽がナショナリズムの象徴となった事例は数多いので、この辺を類型化して分析すると面白いのでは(他力本願)
感想
世界史に関係ない純粋な音楽史としては中学校の音楽と同レベルじゃね?世界史に音楽史いらなくね?*37
*1:問題の前にある四角で囲まれた記載。
*2:ジェズアルド除く。
*3:今回初めて知ったが、「なくした小銭への怒り」は他人が勝手に自筆譜へ記入した副題だそうで、この点はベートーヴェン悪くなかった。ただしベートーヴェンは「お願いです、変ホ長調の音階を書いてください」とかいう歌曲を書いており、やっぱり真面目というのは失礼。
*4:実際のところ、ベートーヴェンの作品が後世あまりにも研究されつくしたため、ベートーヴェンの音楽は研究対象として真面目に向き合うべき、みたいな価値観から、ベートーヴェン全体が真面目というイメージになり、ベートーヴェンの作風を代表する交響曲が真面目というイメージになり、交響曲をたくさん書いたウィーン古典派3人衆が真面目というイメージになったのではないか。
*5:実は田園も1つのモチーフを徹底展開しており、作りは運命と同じく絶対音楽的ではある。ただいちいち楽章ごとに解説がついてるからね。ベートーヴェン御大は絶対音楽派であると同時に標題音楽派でもある。
*6:シューマンが自分で開発した機械を指につけて練習しすぎたところ指がダメになってピアニストの道を諦めたというのが定説だったが、どうもダメになった指は機械をつけた指ではないらしいという話になりつつある。
*7:ここでいうシューマン、つまりロベルト・シューマンの嫁さん。当代きってのピアニストで、夫が禁止するまでは作曲もしていた、女性音楽家の先駆け。
*8:クレメンティとかチェルニーはエチュードの開発者という印象が個人的には強い。
*9:ハンスリックは音楽評論家で、ブラームスの絶対音楽を支持しヴァーグナーを激烈に批判した。指揮者のビューローも、ブラームス派として、ブラームスの交響曲第1番をベートーヴェンの第10番のようだと評価して褒め称えている。ベートーヴェンの後継者がヴァーグナーとブラームスのどちらであるかは、当時の楽壇で大問題だった。
*10:一方、シューベルトはベートーヴェンに曲を献呈するぐらいにはベートーヴェンのことを尊敬していたので、自分が交響曲を書くときにベートーヴェンを意識しなかったとは考えがたい。
*11:ご本尊からして性格がアレなヴァーグナー派が穏健なわけもなく、ブラームス派とは鋭い対立を続けた。
*12:アイーダは、話の筋と舞台セットはエジプトだが曲は別にエジプト風ではない。
*13:国民楽派という分類そのものが、音楽の中心地だった独墺伊仏以外の国で新たに生まれた作曲家という位置づけなので、チャイコフスキーは一応その範疇ではある。
*14:ドビュッシーだけ覚えてればいいという意味なら文句はない。ラヴェルは範囲外だから。
*15:水の戯れはラヴェルの印象主義の代表作とみなされている、水が流れたり吹き出したりする様子を雰囲気として描いた名曲。
*16:多くの文献では、カメレオンと評されていることが紹介されている。
*17:ストラヴィンスキーを音楽界のピカソと表現してるネット上の情報は全く見あたらない。
*18:ロックの定義次第なので、このへんは識者に任せます。
*19:この辺も識者に任せます。
*20:蝶々夫人は舞台が日本の長崎なので、内輪びいきで載ってる可能性がある。今思い出したけど、これドビュッシーの海と合わせてジャポニスムと絡められるな。
*22:シベリウスの中ではもちろん1番目ぐらいに有名なんだけど、シベリウス自体が一般的には有名でないので…
*24:これは元記事を書かれた方に対する要望。吟遊詩人、ニーベルンゲンの歌、ローランの歌は世界史科目の重要項目だから。
*25:バッハの対位法の到達点という意味で。
*27:同じオラトリオでも天地創造の方がたぶん有名だと思う。
*29:作曲当時は大受けしたが、現在はベートーヴェンの数少ない駄作と見なされている、ものすごく単純な曲。
*30:シューマンは関心がころころ変わる人で、1つのジャンルに打ち込んだという印象があまりなく、代表作をどれか1つ上げようとすると相当難しい。
*31:なんたってベートーヴェンの後継者やからね(炎上)。ブラームスは、ベートーヴェンの存在が大きすぎたせいで、交響曲第1番を書くのに20年近くを費やしている。
*32:大序曲1812年は、ナポレオンの冬戦争におけるロシア軍の活躍を描写した機会音楽。どう考えても世界史に絡めやすいのはこっち。
*33:ドヴォルジャークの交響曲第9番の第2楽章をもとにした唱歌。
*35:牧神の午後への前奏曲は無調への扉を開いたと名高い曲なので、代表作に上げられるのは正しい。むしろアラベスクがいらない。
*36:金属の棒の長さの違いが一定だと、棒を叩いたときに出る音の高さの違いも一定になることを発見し、そこから完全五度を見つけた。さらに、完全五度を繰り返していって作ったのが、ピタゴラス音律。
*37:いる
菊池誠先生の勘違い
はてなのパブリックエネミーとして有名なきくまここと菊池誠先生が、籠池証人喚問を受けて、以下のような発言をしている。
違法行為があったというかなりはっきりした「確証」があるなら証人喚問も分からなくはないんだけど、とりあえず証人喚問すれば何かボロを出すだろうっていうやりかたは、国会としてまずくない?
— 菊池誠(4/8SilverWings) (@kikumaco) 2017年3月23日
100万円貰って口利きをしたというならまだしも証人喚問に理があるかもしれないんだけど、100万円寄付したかどうかでは話にならないよ。野党は「首相の配偶者には人権はない」みたいになっちゃってると思うなあ
— 菊池誠(4/8SilverWings) (@kikumaco) 2017年3月23日
なんかもう、陳情も悪だし、陳情されたらされた政治家も悪、みたいになっててどうかしてる。「何をやるとアウトか」はきちんと論理的に説明できるべき
— 菊池誠(4/8SilverWings) (@kikumaco) 2017年3月23日
その議論はするべきだと思うけど、そのために首相夫人を呼ぶ必要はない。というか、これは属人的な問題ではなくて制度の問題なので、個人を呼ばずに議論するべき。せっかくだから、この機会に「首相の配偶者」について一般的な議論をしておくほうがいい https://t.co/1f3pc8PlQP
— 菊池誠(4/8SilverWings) (@kikumaco) 2017年3月23日
「忖度罪」じゃなくて「忖度させた罪」を作りたい人がたくさんいるんだけど、それは無理でしょう。まずは君が落ち着け
— 菊池誠(4/8SilverWings) (@kikumaco) 2017年3月23日
要するに、
・証人喚問は違法性のある行為をした者に限定して行うべき
・100万円を寄付した行為は違法性のある行為ではないので、それを安倍昭恵氏がしたとしても証人喚問すべきではない
・首相の配偶者が公人か私人かの区別は今後必要だが、行為そのものに違法性はないから、そのために証人喚問する必要はない
・「忖度させた罪」を作ることは不可能
ということのようだ。
これらの発言について、はてなではまだ炎上していないようだが、今後、何が何でも安倍ちゃん守り隊とか揶揄する声が飛んでもおかしくない。その点はほんとにそうかもしらんのだが、個人的には、それなりの見識だとは思う。証人喚問が裁判所の証人尋問と同一という前提があるなら。
何が立証されれば「アウト」なのかがはっきりしてないからなあ。前にも書いたんですけど「変なおっちゃんと仲良し」であることが立証されてもしょうがないわけですから。いったい何を聞き出して何を立証したいのか、質問者はちゃんと準備して臨まないと時間の無駄
— 菊池誠(4/8SilverWings) (@kikumaco) 2017年3月23日
からしても、菊池先生は多分そう思っていることだろう。
確かに、国会の証人喚問は、偽証罪の制裁が科せられることでは、裁判における証人尋問と同一だ。証人自身の犯罪の疑惑がある場合に喚問が実施されることも多いから、刑事事件の被告人質問と類似の性格を示すこともある。
ところが、法律上の立て付けはそうなっていない。国会での証人喚問は国政調査権の行使の一形態で*1、あくまでも、国会の権能たる立法権の行使のために実施されるものだ。つまり、法律を制定する際に立法事実*2の有無を確認する必要があるとき、行使される。
過去には、証人喚問が政敵の追い落としや証人の有罪判決獲得を主な目的として行使されることもあったろう。今回もそのような目的であれば、国政調査権の濫用であり許されるものではない。しかし、特に民進党は永田メール事件のトラウマがあり、野党は籠池理事長の参考人招致を求めていたに過ぎない。今回の証人喚問を濫用と理解するのは、過去の記憶に引きずられた誤解と言わざるを得ない。
そうすると、違法性のある行為を行っていない昭恵氏の証人喚問をすべきでないという主張には根拠がなくなる。一方、今後立法する上で、首相の配偶者が行ってはならない行為はどこまでか、「忖度」に違法性を認めるべき行為類型はどのようなものかということについては、是非とも発生した事実関係及び当事者の主張を採取しておく必要がある。具体的な事実をたたき台にせずに条文を検討しても、空論に終わり実効性を確保できないからだ。
そういう理由で、森友事件に全く違法性がないとしても、今後合法的な汚職や便宜供与が繰り返されないために法律が制定されるべきだし、その実効性を確保するために証人喚問を含む国政調査権は行使されるべきということになる。
善解すれば、菊池先生の発言は、過去に政局を実質的な理由として国会で実効性が薄く醜い攻防が繰り広げられたことへの嫌悪感から、今回もそれと同じと思ってしまったのではないかと思う。マスコミの論調もそれに近いものが相当あるし、安倍政権の打倒につなげたい野党議員の発言もあった気もする。けれども、だからといって証人喚問自体を全否定するのは、制度趣旨を誤解していると言わざるを得ないので、正しく理解してほしいなあ*3。
「音楽の母」が真にふさわしいのは誰
前記事で、「ガールズシンフォニー」にヨハン・ゼバスティアン・バッハ(以下「J.S.バッハ」)が登場したら「音楽の母」になりそうと書いた。もともと「音楽の母」だったヘンデルはどうなってしまうのか。*1
とはいえ、「音楽の母」ヘンデルというのは、どうやら日本だけの俗称らしい*2。いっそ別の人を音楽の母と呼んでもいいのでは。ということで、誰がふさわしいか考えてみる。
*1:LGBT的な何かからすると両親とも母でおかしくないから別にいいのだろうか。あのゲーム何でもありだからいいか
*2:英語mother of musicでもドイツ語Mutter von Musikでも、検索結果には全く引っかからない
「ららら♪クラシック」に別れを告げる日
「ららら♪クラシック」(以下「ららら」)の司会が交代するらしい。
http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/otherpress/pdf/20170216.pdf
このクラシック業界でも大して話題に上らない「ららら」は、NHKで放送されているクラシック音楽エンターテインメント番組だ。
続きを読むグーグルストリートビューで巡るローマ三部作聖地巡礼その2 ローマの松
I pini di Roma ローマの松(1924)
ローマの遺跡にはしばしば松が生えている。不死の象徴とされる松は、古代からローマ市民に愛されてきた。ヴァティカン美術館の中庭に置かれているピーニャ(松かさ)はかつて噴水としてパンテオンの横に置かれていたし、現在のヴェネツィア広場にも松かさの噴水が設置されている*1*2。
松は遺跡だけでなく至る所にある。イタリアカサマツは日本の松とは違い、ひょろ長い幹のてっぺんにこんもりした葉が生えている。
交響詩「ローマの松」は、ローマ名物の松を周囲の情景とともに曲に仕立てたものだが、同時に、松を通じて思い起こされる歴史的な風景も織り込んでいる。