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「砂川事件判決が判断した」と言えるのはどこまでか

法律

前置き

 

id:octnzmさんとの間で、

 

 

違憲か否かの議論継続「意味無いのかなと思う」 稲田氏:朝日新聞デジタル

砂川事件では日本の集団的自衛権行使は争点になってないし、判決の統治行為論日米安保条約についての判断拒否だ。嘘ついちゃいかん。嘘のつもりじゃなければ立法府の成員にふさわしい知能を備えていない。

2015/06/11 18:31

b.hatena.ne.jp

 

違憲か否かの議論継続「意味無いのかなと思う」 稲田氏:朝日新聞デジタル

id:allezvous 判決見ると "安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するもの" (http://goo.gl/p8sT5n) ってなってるから安保条約にのみ限定したものではないんじゃない?

2015/06/11 21:50

b.hatena.ne.jp

から

はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - id:allezvous 判決見ると "安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するもの

id:oktnzm 統治行為論の規範を集団的自衛権憲法9条の関係に適用できるかということは最初から検討しておらず、最高裁の判断の範囲に関する稲田さんの発言だけ問題にしていることは理解していただいてますか?

2015/06/12 19:25

b.hatena.ne.jp

 

はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - id:allezvous 判決見ると "安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するもの

id:allezvous "一見明白に違憲というとき以外は、日本の存立にかかる安全保障については、国会と内閣に任されている"というのは規範(例外と原則)そのものだし、日米安保に限定されないでしょ?君の方が言い過ぎじゃね?

2015/06/12 17:36

b.hatena.ne.jp


まで議論がありました。砂川事件判決が集団的自衛権について判断を示しているかについての議論と理解しています。

 

なお、ここでいう集団的自衛権は、他国が第三国から攻撃を受けた場合における、他国の個別的自衛権行使に伴って日本が行使する自衛権です。言うまでもないことと思いますが、念のため補足しておきます。

これに対し、 砂川事件判決で問題になっていたのは、日本が第三国から攻撃を受けた場合における、日本の個別的自衛権行使に伴ってアメリカが行使する自衛権のことでした。

 

議論が進んだことで、問題は判例の先例拘束性についての理解であることがやっと見えてきたのですが、次のコメントを100文字に収めようとすると、「いえ日米安保条約に限定されてます。言い過ぎてません。」という返事になってしまいます。これに理由をつけようとするとブコメの文字制限に収まらないので、ブログを立ち上げて記事を投稿することにします。

 

 

判例のどこに先例としての価値があるのか

 

まず、「砂川事件判決が集団的自衛権について判断を示しているか」を考えるにあたって、砂川事件判決のどこを検討すべきか、はっきりさせておきます。

 

検討すべきは、ratio decitendiと呼ばれる、判決主文を導くのに直接必要な判決理由部分です。これ以外の文章は、obiter dictumないし傍論と呼ばれますが(以下「傍論」で統一します)、今回の問題を検討するにあたって見る必要はありません。ratio decidendiこそ、裁判所が判決主文を導くため十分に検討した箇所であり、磨かれた理論構成を持つ箇所です。これに比べれば、傍論は十分な検討を経たものではなく、誤っている可能性も高いものです。それ故に、ratio decidendiのみが先例と言えるのであり、裁判所が示した法的規範としての価値を有することになります。最高裁の判決及び決定(これを術語で「判例」といいます)のratio decidendiは、以後の判例及び下級審裁判を拘束します(このような、以後の判例等を拘束する作用を「先例拘束性」といいます)。

 

もともと私が言及した稲田さんの発言は「一見明白に違憲というとき以外は、日本の存立にかかる安全保障については、国会と内閣に任されていると最高裁自身が判示している。」に関するところですが、この箇所が統治行為論の援用であることには、私も異存ありませんし、id:octnzmさんも当然前提としています。

 

砂川事件判決のうち、統治行為論に関わるratio decidendiは、おおむね以下の箇所です。これは、判決が「アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。」と争点を設定した箇所に関する判断です。要するに、日米安保条約憲法9条に反するかという争点の判断です。

 

「本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的判断に委ねらるべきものであると解するを相当とする。」

 

なので、今回の議論の争点はこの箇所の解釈です。

id:octnzmさんの最後のブコメは「"一見明白に違憲というとき以外は、日本の存立にかかる安全保障については、国会と内閣に任されている"というのは規範(例外と原則)そのものだし、日米安保に限定されないでしょ?君の方が言い過ぎじゃね?」です。なので、id:octnzmさんは、統治行為論の規範部分のみが判例の示したratio decidendiであって、「本件安全保障条約は、…表裏をなす点がすくなくない。それ故、右」の箇所は傍論だと考えられると思いますが、そうではないことを以下で示します。

 

 

砂川事件判決の先例拘束性

 

私は、「ratio decidendiこそ、裁判所が判決主文を導くため十分に検討した箇所であり、磨かれた理論構成を持つ箇所です。」と言いました。

 

どうして裁判所が十分に検討するかというと、目の前に具体的な事件があるからです。この背後には、事件もないのに法律の合憲性だけを検討しても、事件がある場合に比べ、抽象論ばかりになって的外れな結論に至る可能性が高いという考慮があります。これは、法律の違憲審査の場面では、術語で付随的審査制といいます。

 

外国には、事件がなくても裁判所が法律の違憲審査を行ってもよいという抽象的審査制を採用するところもありますが、日本では付随的審査制を採用しています(最大判昭和27年10月8日警察予備隊違憲訴訟)。

 

そうすると、法律の違憲審査を行うratio decidendiは、具体的な事件を必ずセットにしなければならないということになります。何度も言いますが、具体的な事件を離れた抽象的な検討は、具体的な事件を前提にした検討に比べ、的外れな結論に至る可能性が高いからです*1

 

砂川事件判決でいうと、日米安保条約憲法9条に反するかというところが具体的な事件、統治行為論違憲性に関する判断ということになります。

 

結論

したがって、砂川事件判決は、日米安保条約憲法9条に反するかのみを判断したものであって、集団的自衛権の行使が憲法9条に反するかを判断したものではありません。

 

砂川事件判決が判断した」と言えるのは、ここまでです。

id:octnzmさんの「一見明白に違憲というとき以外は、日本の存立にかかる安全保障については、国会と内閣に任されている"というのは規範(例外と原則)そのものだし、日米安保に限定されないでしょ?君の方が言い過ぎじゃね?」というコメントに対する返答は、「いえ日米安保条約に限定されてます。言い過ぎてません。」となります。

 

まとめ

  1. 裁判所による判断があったと言えるのは、ratio decidendiの範囲
  2. 付随的審査制のもとでは、具体的な事件と規範がセットでratio decidend
  3. 稲田さんの発言「一見明白に違憲というとき以外は、日本の存立にかかる安全保障については、国会と内閣に任されていると最高裁自身が判示している。」は、日米安保条約に限定せず安全保障分野全般で統治行為論が適用されると最高裁が判断したとするもので、ratio decidendiを踏み越えたもの

補足

砂川事件当時、具体的な事件が発生していなかった集団的自衛権の争点について判断しようとしても、抽象的な検討を行うことしかできず的外れな結論に至る可能性が高いから、集団的自衛権の行使については先例拘束性を有しないことは、ご理解いただけると思います。

 

もちろん、日本の違憲審査が抽象的審査権を有すると解釈すれば、以上と逆の結論を採用することは可能ですが、判例に真っ向から反しますし、そのような説を採用する学説もほとんどありません。稲田さんはどういう理論構成をされるんでしょうね。 

 

参考文献

憲法の基本書(何でもいいですがさしあたり芦部信喜長谷部恭男、野中ほか)

 

ratio decidendiについて

http://www.cit.nihon-u.ac.jp/laboratorydata/kenkyu/publication/journal_b/b47.1.pdf

 

統治行為論の学説状況について

http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/8440/1/22-1-02.pdf

 

 

*1:もちろん、付随的審査制には、具体的な事件がないと法律の合憲性を検討する機会が与えられず、違憲の法律による運用を野放しにする危険性があります。この危険性を重視する国は抽象的審査制を採用します